ジブリ映画『千と千尋の神隠し』に出てくる、そっくりな二人の魔女。
湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)の見分け方があったら、知りたくありませんか?
「どっちがどっちかわからない!」と困ることはないかもしれません。
でも、この二人のちがいを知ると、物語がもっと深く見えてきます。
結論からいうと、二人の見た目に目立ったちがいはありません。
でも、「中身」はまったくの別物です。
この記事では、どっちがお姉さんなのか、そして、なぜ最後は二人とも「おばあちゃん」と呼ばれたのか、その深い理由をひも解きます。
千と千尋の神隠し|湯婆婆と銭婆はどっちが姉?公式の設定
まず、一番気になる「どっちが姉か」についてお話しします。
お姉さんは銭婆で、妹が湯婆婆です。
これは公式の設定です。
劇中でも、銭婆が自分のことを「姉」、湯婆婆のことを「妹」と呼んでいます。
二人は「二人で一人前」と言われる双子です。
それゆえに、外見だけで区別するのはプロでも難しいほどそっくりなのです。
千と千尋の神隠し|見分けられない双子。でも「大切にしているもの」が違う
顔や服の形は同じ。
公式にも、二人は「うりふたつ」の存在なので、外見から見分けるのは簡単ではなさそうです。
それなのに、なぜか映画の中で私たちは、二人が「なんとなく違う」と感じることができますね。
それは、二人が持っているものや、暮らしぶりが正反対だからです。
妹・湯婆婆は「支配」のなかに生きる
湯婆婆は、油屋を経営する社長です。
- 指には、たくさんの宝石がついた指輪
- 手元には、支配の象徴である契約書とペン
- 豪華なドレスや、キラキラした髪飾り
彼女は、お金や契約で人をしばり、自分のものにすることで力を示しています。
経営者ですから仕方ないことではありますが、
いつもピリピリとしたオーラをまとっていますよね。
姉・銭婆は「手仕事」のなかに生きる
その一方、銭婆は、沼の底でひっそりと暮らしています。
- 手元には、編み物の道具
- おもてなしのための、ティーセットとクッキー
- 飾り気のない、シンプルな生活
彼女は魔法にたよらず、自分の手で何かを作ることを大切にしているようでした。
この「手仕事」の温かさが、彼女の包容力につながっているように思えます。
釜爺には「あの魔女は怖い」と言われますが、むしろ優しさを感じます。
きっと千尋がそう感じたから、見守る私たちにも伝わってきたのかもしれません。
千と千尋の神隠し【徹底比較】坊に対する「愛」のちがい
『千と千尋の神隠し』に登場する双子の魔女、湯婆婆と銭婆。
二人の違いが一番よくわかるのが、湯婆婆の息子である「坊」への接し方だと思います。
湯婆婆の「甘やかし」と「支配」
湯婆婆は、坊を溺愛しています。
でも、それは本当の成長を願う愛ではありませんでした。
「外は病気になるから危ない」という口実で、
豪華な部屋に閉じ込め、欲しいものを何でも与える。
これは「自分の手元に置いておきたい」という、湯婆婆自身の欲の現れです。
そのせいで、坊は自分の足で歩くこともできない、わがままな子供になってしまいました。
銭婆が教えた「自立」
一方で、銭婆は人型(ひとがた)の紙から魔力を使い、坊をネズミの姿に変えてしまいました。
一見、いじわるに見えるかもしれません。
でも、ネズミの姿になったおかげで、坊は初めて「自分の足」で外の世界を歩くことができました。
千尋の肩に乗って冒険するうちに成長し、最後には千尋を助けようとさえします。
坊は、銭婆によって自立するきっかけをつかむことができた。
結果的に銭婆は、坊が「自分自身の力」で生きていけるように導いたのですね。
千と千尋の神隠し|カオナシという「迷い子」への接し方のちがい
物語の中で、油屋をめちゃくちゃにしたカオナシ。
この困った存在への対応も、二人は正反対でした。
- 湯婆婆: 「お客様」としてお金を巻き上げようとし、最後は力で追い出そうとした。
- 銭婆: 「お座り」と言って居場所をあたえ、一緒に編み物をさせた。
湯婆婆にとって、カオナシは利用するか追い出すかの対象でした。
でも、銭婆は違います。
カオナシの孤独を受け入れ、静かな居場所をあたえました。
この「認めてもらえた安心感」が、暴れていたカオナシを穏やかに変えたのだと思います。
千と千尋の神隠し|なぜ千尋は銭婆を「おばあちゃん」と呼んだのか
物語の中で、千尋は銭婆のことを自然に「おばあちゃん」と呼びます。
最初は、恐ろしい魔女だと思っていた相手です。
でも銭婆は、坊を導き、カオナシを受け入れ、自分に手作りの髪留めを作ってくれました。
銭婆の中に、千尋は「本当の家族のような温かさ」を感じたのかもしれませんね。
魔法で無理やり変えるのではなく、見守って、育てる。
その「すごさ」にふれたとき、千尋のなかの「銭婆は怖い魔女」というイメージは消えたのです。
千と千尋の神隠し|最後は湯婆婆も「おばあちゃん!」と千尋が呼んだ理由
実は、千尋が「おばあちゃん」と呼んだのは銭婆だけではありません。
物語のラストでは、あの湯婆婆のことも「おばあちゃん!」と呼んでいます。
なぜ、名前を奪い、自分を苦しめた相手をそう呼んだのでしょうか。
それは、千尋が銭婆との時間を通じて「本物を見抜く目」を手に入れたからだと思うのです。
見た目がそっくりな二人の魔女。
片方が優しいおばあちゃんなら、もう片方の湯婆婆も、根っこは同じ「人間」であるはず。
千尋は、湯婆婆の怖さの裏にある、不器用な寂しさや、必死に生きる姿を見抜いたのでしょう。
「だーれがおばあちゃんだよ!」と照れる湯婆婆の顔は、もう支配者ではなく、対等な人間に見えました。
千と千尋の神隠し|湯婆婆の魔法を解いたのは「心の目」
千尋は最後に、豚のなかから
「ここにお父さんとお母さんはいない」と言い当てることができました。
「魔法で作ったものは消えるけれど、手作業で編んだ髪留めは消えない」
銭婆に教わったこの本質が、千尋の「心の目」を開かせたのだと思います。
魔法や見た目にだまされず、本当のことだけを見つめる力。
それが、湯婆婆の魔法を打ち破ったのです。
まとめ|千と千尋の神隠し、千尋を成長させた「二人の魔女」
湯婆婆と銭婆。
二人は、同じ力を持ちながら、それを「いつ、どこまで使うか」をまったく違う形で選んでいます。
湯婆婆は、前に立つ大人です。
場を整え、ルールを作り、責任を引き受ける。
だから油屋は回り、千尋は試され、坊は守られてきました。
一方で銭婆は、一歩引いた場所に立つ大人です。
すべてを管理しようとはせず、
必要なところだけに関わり、あとは相手に委ねる。
坊に対しても、千尋に対しても、
銭婆が与えたのは答えではなく、「やってみる余地」でした。
銭婆の言う
「私たち二人で一人前」という言葉は深いです。
湯婆婆という「厳しい現実(ルール)」と、銭婆という「温かい救い(居場所)」。
その両方があったからこそ、千尋はただ守られる子供から、自分の力で歩き出す一人の人間へと成長できました。
だから千尋は親しみをこめて、最後は二人を「おばあちゃん」と呼んだ。
そこには、もはや恐怖も支配も、主従の関係もありません。
あれほど怖かった魔女たちの顔が、最後はどこかチャーミングに見えてくるから不思議です。
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