映画『チャーリーとチョコレート工場』には、
一度観ただけでは気づかない“仕掛け”がぎっしり詰まっています。
なかでも強烈な印象を残すのが、あの小さな歌う集団――ウンパルンパです。
ウンパルンパの歌には、コミカルなのに怖いという妙な引力があります。
じつは、この映画のウンパルンパには、
大人でもビックリなトリビアがたくさんあります。
たとえば、工場で何十人と歌い踊るあの姿は、
すべて同じ俳優の演技の重ね撮りだったり、
アニマトロニクス(動く人形) が使われていたり。
この記事では、『チャーリーとチョコレート工場』のウンパルンパを深掘りしながら、
なぜあの歌が、怖いのに忘れられないのかを読み解いていきます。
『チャーリーとチョコレート工場』 ウンパルンパの見た目は原作と大きく違う
『チャーリーとチョコレート工場』の原作小説に登場するウンパルンパは、
時代や版によって描写が変わってきました。
初期の版では、アフリカの森林に暮らす人々として描かれていましたが、
その後の改訂版では、白い肌と金髪という設定に改められています。
ところが、ティム・バートン監督による2005年の映画版では、
原作とはまったく異なるビジュアルが採用されました。
体格や顔立ちはすべて統一され、茶色みのある肌にユニフォーム風の衣装。
その姿は、どこか機械的で、きちんと整列された存在にも見えます。
同時に、一度見たら忘れられない強烈な視覚的インパクトがあります。
こうした表現の違いは、単なるデザイン変更ではなく、
ティム・バートン監督ならではの、
奇妙で少しシュールな世界観を形作る、大きな要素になっていると思います。
『チャーリーとチョコレート工場』 ウンパルンパの「正体」は仕掛けだらけ!?
165体のウンパルンパを、一人で演じたディープ・ロイ
まず、工場に何十人もいるように見えるウンパルンパは全部で165体。
すべて同じ俳優が演じています。
同じ顔、同じ服、同じ動き。
あの異様な光景は、最初に観た時はCGかと思いました。
ウンパルンパを演じたのは、俳優ディープ・ロイ。
集団で踊る場面は、彼が実際に踊った様子を人数分撮影し、
デジタル処理によって“集団”として成立させていたのです。
ディープ・ロイは、目鼻立ちがはっきりした、いわゆる濃い顔の俳優さんです。
そのため「みんな同じ顔」がずらりと並ぶ映像は、
とてつもないインパクトがありました。
正直に言うと、この強すぎる同一性こそが、
私が最初に怖いと感じた、不気味さの正体だったのかと思います。
ティム・バートン監督の狙いも、そこにあったのかも知れません。
ウンパルンパはダンスも歌も本気!準備はプロ並み
ウンパルンパの歌とダンスは、どれも中途半端さがありません。
それもそのはずで、ディープ・ロイは
ダンスやパフォーマンスのトレーニングを重ねて撮影に臨みました。
同じ姿が何人もいる。
一つひとつの動きは揃っているけど、わずかな違いに目を奪われる。
その完成度の高さが、楽しさと不気味さを同時に生んでいるように感じました。
ウンパルンパにアニマトロニクスが紛れ込んでいたって本当?
さらに調べてみると、集団でボートを漕ぐシーンなど、
一部はアニマトロニクス(機械仕掛けの人形)も使われていました。
人なのか、人形なのか、はっきりしない。
そのわずかなズレが、ウンパルンパを
「現実から少し外れた存在」に見せていたのかもしれません。
『チャーリーとチョコレート工場』なぜウンパルンパの歌は“怖いのに忘れられない”のか
ウンパルンパは、事実を歌って同情しない
物語の中で、子どもたちが脱落するたびに、
ウンパルンパは現れます。
感情的になることはなく、
淡々と事実を歌い、評価し、そして去っていく。
そこに同情はありません。
説教も、慰めもありません。
この割り切った距離感が、
安心とも恐怖とも言い切れない感覚を生み出しているように思います。
気づけば、ウンパルンパの歌を待っている
印象的なのは、
観ているうちに、自分の感じ方が変わっていったことです。
最初は、
「怖いな」と身構えていたはずなのに、
気づけば、
「次はどんな歌が来るのだろう」
と、少し期待している自分がいました。
不気味さに慣れると、
今度はリズムや歌詞に、
自然と耳を澄ませてしまう。
この感覚の変化が、強く印象に残りました。
ウンパルンパの歌、軽快なのに内容は優しくない
ウンパルンパの歌は、
メロディだけを聴けば、とても軽快です。
どこか楽しげで、
思わず口ずさみたくなるようなリズム。
けれど、歌われている内容は、決して優しくありません。
子どもたちの失敗や欠点を、
韻を踏みながら、淡々と指摘していく。
罰を与えるわけでもなく、
感情をぶつけるわけでもない。
ただ、評価して、歌って、去っていく。
その冷静さが、かえって少し怖いのです。
だから、ウンパルンパの歌は耳に残り続ける
それでも不思議と、
ウンパルンパの歌は耳に残ります。
次の場面で、
「また歌うのだろうか」と、
どこかで待っている自分がいる。
その矛盾した感覚が、ウンパルンパの歌を
怖いのに、忘れられないものにしているのだと思います。
『チャーリーとチョコレート工場』ウンパルンパを演じたディープ・ロイの目
ウンパルンパは、誰かを助けるわけでも、慰めるわけでもありません。
工場の中では、作業員のようでもあり、合唱団のようでもある。
個性を消したユニフォームに身を包み、「個人」ではなく、
チョコレート工場という仕組みの一部として配置されています。
その姿は、感情を持たない装置のようにも見えます。
けれど、よく見ると、完全に無機質な存在にはなりきれていません。
同じ顔、同じ動きが並んでいるのに、
なぜか目に力がある。
無表情に近いのに、どこか生き生きしている。
その理由は、
ウンパルンパを演じたディープ・ロイの目にあるのかもしれません。
感情を表に出さないからこそ、
わずかな視線の力が、かえって強く印象に残る。
「仕組みの一部」に見えながら、完全には道具になりきらない。
その曖昧さが、ウンパルンパを怖くもあり、
どこか温かくも感じさせる理由なのだと思います。
だから、『チャーリーとチョコレート工場』ウンパルンパは忘れられない
ウンパルンパは、かわいいマスコットでも、分かりやすい悪役でもありません。
ただ、歌い、評価し、去っていく存在です。
それでも、
同じ顔が並ぶ強烈な映像
不気味さから期待へと変わる感情
目力のある、あの視線
これらが重なって、観終わったあとも記憶に残り続けます。
映画『チャーリーとチョコレート工場』を思い出すとき、
なぜかウンパルンパの歌が頭の片隅で流れてくる。
怖いのに、忘れられない。
それこそが、ウンパルンパという存在の不思議な魅力なのかもしれません。
次は、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』に登場する、
まったく違う世界線のウンパルンパについても見ていきたくなります。
▶『ウォンカ』のウンパルンパ 俳優は誰?ヒュー・グラント起用の理由と作品の魅力

また、ウンパルンパを見ていると、
この工場そのものが、どこか歪んだ世界に感じられてきます。
実はこの違和感は、
ウンパルンパだけで完結するものではありません。
『チャーリーとチョコレート工場』という物語全体を見たとき、
本当に救われたのは誰だったのか。
その点については、
別の記事で詳しく考察しています。
▶チャーリーとチョコレート工場 ネタバレ考察 救われたのはウォンカだった?

そして、『チャーリーとチョコレート工場』の前日譚としてよく誤解される
『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』
上質のミュージカル作品として文句なく楽しめるこの映画を
ネタバレありで考察した記事はこちらです。
▶ウォンカとチョコレート工場のはじまり ネタバレ考察 ジョニー・デップ版とはつながらない



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